化粧男子とは
『男の子もキレイになりたい!』東京化粧男子宣言!は、男子が化粧して「美」を競い合うイベントです。
最近のファッションは、男女という性別を超えたユニセックスがあたり前となっています。
ただ、女性は男性ファッションを取り入れてファッションの自由度を増していますが、男性ファッションはまだまだという感じです。その大きな壁となっているのが、化粧とスカート。男もスカートをはいて化粧をすれば、そのファッションの幅は広がります。
男性がスカートをはいて化粧をすれば、“女装”だとか“コスプレ”なんて言われてしまいますが、普段のおしゃれとして、化粧をしたり、スカートをはいても何も言われない時代がすぐそこまできています!
「東京化粧男子宣言!」はそんな時代を先取りし、街中にいる普通の男子が化粧をしてファッションを楽しむことに“普遍の美”を見出し、新しい“男らしさ”を社会に提案していきます。
特別記事 性社会史研究家 三橋順子が語る化粧道
化粧と日本人
日本神話の英雄ヤマトタケルは、叔母さんにもらった衣装を身につけ、叔母さんに教えてもらった(←たぶん)化粧をして美しい少女の姿になり、難敵クマソタケル兄弟を討ちはたしました。弥生時代のシャーマンも、特別な化粧をし、豪華なアクセサリーを身につけて神を祭りました。
中世戦乱期の武士たちも合戦に赴くときには化粧をし、きらびやかな甲冑を身にまとって出陣しました。江戸の元禄時代、振袖で美しく装い、髪を結いあげた少年は、女性からも男性からも愛されました。
私たちの先祖は、化粧をし、装うことによって、単に美しくなったり、身ぎれいになるだけでなく、普段の自分にはない特別なパワーが備わると考えたと思われます。
つまり、化粧とは、日常の自分とは異なるパワフルな存在になれるマジカル・アイテムだったのです。
現代でも女性たちはこうした化粧のもつ力を知っていて、ここぞという時には有効に使っています。
では、本来、男女を問わないものだった化粧が、女性だけのものになってしまったのは、いつなのでしょうか?
それは、近代(明治)以降のこと、西欧の文化の影響によって作られた認識で、たかだか百数十年のことなのです。男子がきれいに美しくなって何か不都合があるでしょうか?
今こそ、二千年の日本の伝統に立ち返って、化粧という素敵なマジカル・アイテムを、再び男子の手に取り戻しましょう。
![]() |
三橋順子著 「化粧と日本人」 三橋順子先生 サイト 「MJ」 三橋順子先生 ブログ 「続・たそがれ日記」 |
男の化粧は昔から 化粧の歴史
実は、日本のみならず、アジアでも男の化粧は昔からあった?
男の化粧
十三年前の春の夜、サイゴン(いまのホーチミシ市)の裏通りを歩いていて、芝居小屋の前に出た。俳優の大写真がずらりとかかげられていゐのを見あげた。おどろいたことに、男優たちがみな白くぼってりとお化粧をしているのである。
私は、自分のアジア好きには年季が入っているつもりだが、これには気が滅入った。
そのあと気をとりなおして、これこそアジア人なのだと自分に言いきかせることにした。
第一、日本のお公家さんも、女のように化粧していたのである。
マユの毛をぬいてひたいに殿上眉(てんじょうまゆ)を描き、歯を黒く染めていた。この風(ふう)は、十二世紀、平安後期にはじまったといわれる。
平家も、武士から昇格して公家になったから、その公達(きんだち)も、当然、化粧をして戦場に出た。むろん平(ひら)武者や敵の源氏の武者などは素のままの顔だった。つまり貴種(きしゅ)だけが化粧したのである。
以下のことは真宗の僧にとって思い出したくない過去だろうが、説教師という専門職の僧は、明治のある時期まで、高座(こうざ)にのぼるとき、薄化粧をしていた。貴種のイメージを演出したのである。
歌舞伎でも二枚目は白く塗る。江戸期は照明がくらかったということもあるが、二枚目は庶民のイメージの上では擬似(ぎじ)の貴種なのである。だから、白粉(おしろい)を塗らねば観客が承知しない。
貴種とは『広辞苑』によると、「高い家柄の生まれ。高い血筋」とある。
ほかに貴種流離ということばもある。貴種がなにかの事情で放浪するという説話の型で、日本での義経がその典型といっていい。歌舞伎では義経のことを判官(ほうがん)という。判官が赤ら顔で出てきては観客が面くらう。
私などは小さいころ(昭和初年)は、映画の時代劇もまだ歌舞伎の延長で、二枚目は気味わるいほど白く塗っていた。むろん観客もそれをあやしまなかった。
この風(ふう)は昭和三十年前後になっても、続いていた。そのころ、映画会社の人に、こんなふうに質問をしてみたことがある。
「ハンフリー・ボガードやジョン・ウェインなどが、白く塗っていますか」
しかし、映画会社の人は、いや、二枚目の顔を白くするとお客が喜ぶのです、といった。
平安期からの伝統は、白塗り時代劇があきられまでつづいたといえる。
日本だけではない。
中国でも、かつてはそうだった。京劇はむろんのことだが、ある時期までオーケストラの楽士までが全員薄化粧して演奏していた。
十数年前、中国のオーケストラが日本にくるという話がもちあがったとき、故中島健蔵氏が、誤解を生むのではないかと心配して、せめて日本での演奏中だけは素顔でどうだろう、と中国側(四人組の時代だった)にいうと、それはこまる、という返事があった。
「民衆はそのほうをよろこぶのです」
と、中国側は、前掲の映画会社の人と同じようなことをいった(もっとも、この演奏はべつの事情でとりやめになった。)
ところが、ちかごろ、男の化粧が一部で流行しているそうである。
大阪だと、夜、心斎橋あたりにそういう”子”が出るという。流行の本場の東京では、そのための専門の美容室まであるらしい。
「もっとも、高校生ぐらいまでで、二十をすぎると、もうそういうことはしないようです」と、消息通が教えてくれた。
ジュリー・沢田研二さんなどは舞台の上で化粧をしている。私の中の”古層のアジア人”はそのことに感動する。ファンたちもジュリーに、流離している貴種を--意識下で---擬似的にかさねたりしているのだろう。
ところが、最近の流行の場合、舞台や映画の上ではなく、町を化粧顔で歩いているので
ある。
日本の若者文化も意思部はそろそろ老化してボケの段階に入っているのではあるまい
か。
民族の文化は、人格に似ている。老化してくると、ときにコドモがえりするように、ア
ジア的古層という岩骨(いわぼね)が化粧若衆の中にあらわれ出てきたのではないか。
(1987<昭和62>年1月5日)
司馬遼太郎 「 風塵抄」より抜粋

